雑貨や料理、育児・散歩等、暮らしの中で見つけた、嬉しくて楽しい場面を綴ります。

thank you, life!

暮らしの中に見つけた、豊かで幸せな場面たち。

走り・旬・名残

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先日、スーパーで新鮮な蕗を見つけたので、初めて調理してみました。

包丁を入れた瞬間から、ふわっと青い鮮烈な香りが漂ってきて感激します。しかし、いままで面倒くさそうだと敬遠していた予想どおり、やはり下ごしらえは大変……。一本一本、筋や外側の皮を剥いていきます。

 

黙々と作業していると、突如、心境に変化が。

「こういった作業も良いものだなぁ」

とウキウキしてきたのです。

日ごろはとかく効率的・合理的な手順優先で、無駄のない料理を目指している私。子育て中や働く主婦の方なら、だいたいそうですよね。

けれども、こうして指先を細かく動かしていると、「面倒くさいこと」が愛おしく感じられてきます。

 

ゆったりとした心の余裕は、味にも繋がるのかもしれません。できあがった蕗のお浸しは、サクッとした歯ごたえが残り、程よいほろ苦さ。出汁もしっかり滲みていて、春の予感を存分に味わわせてくれました。

 

和食には、食材の楽しみ方として「走り」「旬」「名残」という考え方があります。

出始めの頃の、到来した季節をいち早く感じさせてくれる「走り」。

豊富に採れて栄養価も高い、まさに食べごろの「旬」。

そして、収穫時期も終わりに近づき、食べ納めをする「名残」。

季節の移ろいに敏感な、日本人ならではの美しい感覚でとても気に入っています。

 

食卓に、この「走り」「旬」「名残」のすべてが上っていたらどんなに素敵だろうかと憧れもしますが、実際はなかなか難しいもの。せめて毎回の食事に、どれかひとつだけでも登場させたいというのが目下の目標です。特に、旬!安くて美味しくて、おまけに栄養価も高い。言うことナシです。

 

今回の蕗は、まだ「走り」の食材といった印象でした。いまは、梅の花は咲くものの、外は寒い日が続く3月初旬。春爛漫は、もう少し先までお預けです。

4月の「旬」、5月の「名残」にも、また下ごしらえする気持ちをエイヤッと奮い立たせて(大げさ?)、今しかありつけない蕗料理を、堪能していきたいと思います。

座禅とヨガ

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我が家の近所に円融寺というお寺があります。

そこで催される月一回の座禅会に、できるだけ参加しています。

 

座禅というと胡坐を組んで目をつぶり、背後から和尚さんにビシッと肩のあたりを叩かれる……そんなイメージを持つ方が多いかもしれません。

実際、始める前までの私も、その程度の認識しかありませんでした。

 

いざ始めてみると、まず胡坐を組むまではイメージ通りです。しかし、目はつぶらなくても構わないということで「半眼」という状態にします。仏像に見られるような、半開きの様子ですね。この体勢で、鼻からの深い呼吸を続けます。

 

面白いなぁと思ったのは、お坊さんからのアドバイスで

「意識を今、ここにある自分に向けてください」

というもの。

頭を空っぽにする必要はないし、むしろ空っぽにするのは無理だと仰るのです。

人は、じっとしていても脳が雑念製造機のように次から次へと物事を思い浮かべてしまう。大事なのは、その雑念に善悪の判断を付けたりしないこと。

雲が空を流れるように、ただ雑念を意識の向こう側へ流していくと良いそうです。そうするうちに木の葉がカサカサ触れ合う小さな音や、風が通り過ぎる空気の流れ、土の匂いといったものに敏感になり、五感が研ぎ澄まされていきます。

 

ここまで伺って体験すると「まるでヨガではないか!」という思いに至りました。意識の持ちようにしろ、呼吸法にしろ、座禅とヨガは非常に似ています。

仏教もヨガも、インド生まれです。だから、もしかすると精神性の根っこの部分で、本当にこの2つは繋がっているのかもしれませんね。

 

毎回座禅会の後は、うまく言えませんが脳がデトックスされたような爽快感が!とはいえ月イチのペースだから続けられるのでは、と感じるのも事実。

そうそう、こちらの座禅会では、お坊さんから木の棒で打たれるといったことは一切ありませんでしたよ。

のんびりマイペースに、これからも非日常のひとときを楽しんでいきたいと思います。

お弁当について

 

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あるお母さんが綴った「嫌がらせ弁当」の本やブログが、話題だそうですね。


ママなりの愛情表現。娘のために作り続けた「嫌がらせ弁当」3年間の軌跡

 

反抗期の娘へママが毎朝作り続けたお弁当。それは、多感な女子高生であればクラスメイトに絶対見られたくないようなキャラ弁です。作り手の技術がヘタに高いだけに、恥ずかしさは倍増だと思われます。

 

でもですね。かなり屈折しているとは思うのですが、続けて見ているとですね……お母さんの愛情が、じわりじわりと伝わってくるのです。

さらに、その嫌がらせ弁当を毎日しっかり食べてくる娘さん。その意地にも感服です。お弁当が繋ぐ、なんだか良い関係ですよね。

 

料理全般に言えることですが、とくにお弁当は、作る人の個性がよく表れるものではないでしょうか。私自身は、娘が給食の出る保育園に通っていたため、お弁当作りは数える程度しか経験していません。

遠足や運動会といったお弁当デーは、まずは朝起きたら布団の中で調理手順をシミュレーション。それから、台所に立ちます。実際作っていく中で、予想外の展開になると一気に慌てふためいたりして。要は、慣れていないのです。

 

お弁当作りが毎日となると、本当に本当に大変だろうなぁ。大変で頑張った分だけ、お弁当箱が空になって戻って来るのか、やたら気になるに違いありません。けれどもそれも、子どもにとっては面倒くさいプレッシャーでしょう。

 

「お弁当は親子のコミュニケーションツールだ」という話もよく耳にします。ただ、あまり押し付けがましくてもいかがなものか。お弁当の時代が過ぎ去り、ふと振り返ったときに、作ってくれた人の想いに気づく。そのくらいが、ちょうど良いのかもしれません。

 

さて、いちばん最初に載せました写真は、きのう私が食べたお弁当です!以前から気になっていた、大岡山の四川屋台で購入しました。これ、午前11時くらいから売り始めて、昼過ぎ頃にはだいたい完売してしまっているのです。

中身はというと、メインのおかずが「豚の角煮」「チキンのチリソース煮」「麻婆豆腐」と3つも入っていました。味も中華料理店が作っているだけあり、八角花椒の香りが食欲をそそる本格派。これで500円だというから驚きです。

 

紅生姜が入っていたことには、速攻で頭の中にクエスチョンマークが出現しました。が、油っこいおかずの合間に食べると、サッパリ感が引き立って意外と悪くないです。

 

それにしてもこの中華弁当、肉率が非常に高いですよね。一方、野菜はごく僅か。いや、文句を言うつもりは全くないのです。むしろこの潔さが、かえって気持ちが良いというか。

東京工業大学が目の前という場所柄、お腹を空かせた学生さん達を満足させるべく用意されたと想像すると、心も温まります。当然、ご飯もドーンと大盛りになっていました。 

 

東工大生の皆さんにも、卒業後にこの中華弁当を思い出して、さまざまな想いが胸に去来するときが来るのかもしれません。

そう、お弁当には、たくさんの物が詰められていますから。

鎌倉さんぽ

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冬の海を見たのは、何年ぶりでしょうか。

先週末、江ノ電に乗ってきました。

藤沢と鎌倉を繋ぐこの路面電車の車窓からは、民家の間を縫うように走った先に海が開けたり、見上げれば山があったりと、実に様々な景色が楽しめます。

時間が止まってしまったかのような、不思議な空と水の色。サーファーがちらほらいる以外は誰もいない、シーズンオフの静けさが心地よかったです。 

 

鎌倉駅で下車し、土産物屋が並ぶ小町通りへ。久々に来てみたらば、まぁ雰囲気が変わっていてビックリ。西洋風の街頭が並ぶ道沿いには、地ビールとソーセージの店、蜂蜜屋、ミカドコーヒーetc. 犬連れの観光客も多く、なんというか、まるで軽井沢です。

学生時代に何度か利用したお香専門店「鬼頭天薫堂」を見つけたときには

「あぁ、そのままでいてくれたんだ」

とホッとしてしまいました。


香司 鬼頭天薫堂 鎌倉 - お香, お線香, 香木, 練り香, 香炉

 

やはり鎌倉は、古都らしさ、和風な趣きがあると落ち着きます。そうそう、手ぬぐい屋もたくさんあって、目移りしてしまいましたよ!

 

鎌倉散歩のラストは、ベタに豊島屋へ‐‐そう、鳩サブレーで有名な店です。

豊島屋は本店でしか買えないお菓子が多数あるほか、「どうしちゃったの?!」と思わず突っ込まずにはいられないほどバリエーションに富んだグッズが販売されていて、眺めるだけでも面白いです。

 

さらに「鳩巣」と名づけられた2階へと続く階段を発見。さっそく上がってみたところ、その先に広がる部屋には豊島屋ご自慢の、世界の鳩グッズが一堂に会していました!!

鳩の工芸品に絵画、鳩サブレーに関する資料など、鳩マニア(いるのか?)にはたまらない空間です。

 

この「鳩巣」の一角では、鳩サブレーの歴史も紹介されています。読んだらこれが……泣けるのですよ。

研究を重ねて遂に完成した鳩サブレーを、初代はご近所さんに配って回ったそうです。しかし、そのサブレーを近所の人が裏庭で犬にあげているのを、初代の奥さんが目撃してしまったのだとか。

初代の情熱を思うと、何も報告できなかったという奥さんの気持ち……切ないです。

まぁ、後に成功して報われたはずだから、良かったですけれどね。

 

変わったものと、変わらないもの。変わらないけれども、新しく知るもの。

鎌倉は、まだまだ探りがいがありそうな街です。

豊島屋本店限定パッケージの鳩サブレーを買って、帰途につきました。

マキタのターボ

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先日、いつものように家の掃除機がけをしていたら

「あっ!」

と思わず叫んでしまいました。

なんと、掃除機のホースがパックリと割れてしまっていたのです。

こんなことって初めて……と驚きつつ、つぎは絶対コードレスにするぞ~!という、かねてからの野望を胸に調べまくった結果、

「マキタ」

というキーワードが挙がってきました。

 街の家電量販店ではあまり目にしない「マキタ」なるメーカーが、掃除機界では、ダントツで高評価なのです。

 

そもそもは業務用電動工具メーカーだというマキタが作る掃除機は、他社と比べてモーターやバッテリーがタフでハイパワーなのだとか。便利な反面、パワフルさに欠けるというコードレスの難点を、見事に克服しているそうです。

いいですねぇ。そういう質実剛健な感じ、大好きです!

 

いいですねー、いいですねー、と気分が盛り上がったまま、さほど迷いもなく、ついに我が家に初のコードレス掃除機「マキタのターボ」がやってきました(色はアイボリー)。

さっそく3時間の充電の後、スイッチを入れてみると……みるみる髪の毛や埃を吸い取ってくれます。我が家の床はすべてフローリングなので、わざわざハイパワーにしなくても、吸引力に全く問題ありませんでした。

少し幅が小さいかな?と感じたノズルも、むしろ狭い場所にも届いて快適です。

 

「何が欲しい?」と聞かれると、オーブンレンジ、炊飯器、ミキサー……と、家電ばかりが思い浮かぶ最近の私。けれども、こういう物って、いま使っている現役が壊れない限り、なかなか「買おう!」ということにはなりませんよね。

 

掃除機のホースが割れるというのは、かなりショッキングな出来事ではありました。が、だからこそ満足のいく品をウキウキしながら選び、手に入れられたわけで。そう考えれば結果的にはメデタシ、メデタシ、でした。

 

掃除機をどれにしようか迷っている方へ、ご参考まで☆

鬼のべっこう飴

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母が、頂き物の飴を分けてくれました。

懐かしいべっこう色をしたこの飴、なんと足の形をしています。

「節分だから鬼の足なんだって!」と母。

それにしたって、なぜ足……。どこで作られたのだろう?

いくら尋ねても

「節分だから鬼の足」

以外の情報を母から受け取ることはできません。

 

珍しい形状に興味をひかれてネットで調べてみたところ、どうやらコレ、非常に有名な飴のようですね。

正しい商品名は「鬼のあしあと」といって、京都の老舗豆菓子店で製造されているそうです。なるほど、もともと豆を扱っていた流れで、節分の鬼にちなんだ飴を売ようになったのでしょう。

なぜ足の形にしたのかまでは分かりませんでしたが、幅広の丸みのある足型は、とってもキュート!良いモチーフだなぁと見とれつつ、この飴は、大豆や鬼の面と共に部屋に飾りました。

 

2月には節分、3月には雛祭り、8月にはお盆……。日本には、季節ごとに実にさまざまな行事がありますよね。そんな年中行事を司る物を飾り、心を託すという「室礼(しつらい)」が、大人になるとしみじみ楽しく感じられます。

 

10年ほど前に、多くの著書を出していらっしゃる室礼研究家・山本三千子さんのお話を伺ったことがあります。28年前に山本さんは突然ご主人を亡くし、なかなか抜け出せない絶望の中にいたそうです。それでも季節ごとの行事をご自宅で済ますたびに、少しずつお気持ちが落ち着き、心がスッキリされたのだとか。

この体験が室礼を研究されるきっかけとなったそうで、とても印象的なエピソードとして覚えています。自分がどんなにシビアな状況におかれていても、時の流れを感じながら、ほぼ決められている型の作業を繰り返すうちに、きっと心は修復され、リセットされていくものなのだと。

ちなみにこのことは、非日常的ハプニングが頻出しても、主人公が淡々と部屋を掃除したり料理したりすることで自分の内面を保つ(ように見える)、村上春樹の小説につながる感覚もありそうだと個人的には感じます。

 

話がたいぶ逸れましたが、そういうわけで、私は大人になった今だからこそ、季節の行事を大切に、サボらずにやっていきたいと思うのです。雛人形や茄子の牛を飾っていると、遥か遠い昔の人々の祈りや願いが感じられます。

そして何より、こうした豊かな日本の伝統文化を、次の世代にも残していきたいのです。

さしあたって、来月3日の節分ですね。この「鬼のあしあと」は、豆まきをした後で、家族の健康と幸福を願いながらいただくつもりです。

「鬼を食べたら、“ 鬼は内 ” にならないのかな…」という、そこはかとない不安は、この際あまり深く考えませんっ。

鬼をやっつけるイメージで、パクッといただきます!

乙女ストロベリーパンナコッタ

 

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近年、子どものなりたい職業の上位ランクに、必ずパティシエが上がってきますよね。

変動しながらも常に目指す職業が10個ほどある我が子も、御多分に洩れず、パティシエールに憧れています。

 

先週末は、家に遊びに来る友だちのために、そんな娘がパンナコッタを作ることになりました。少女たち、そして近づく春の気色にも合うよう、苺のソースでおめかしすることに。

 

パンナコッタというのは生クリームを使ったイタリアのデザートで、非常にリッチなミルクゼリーといった感じです。試食をした際、娘と私は

「ママの味~!」と声を揃えて感激してしまいました。

そう、あのミルキーのような風味なんです。そしてトロトロの口当たり。ひと口食べるとホッとするような、癒しを与えてくれるデザートです。

 

器は、ベトナムのバッチャン焼きを選びました。この大きさがちょうど良い感じ。

 

ゼリーやプリンといったプルプル系のお菓子は、固まるまでの過程も面白いですよね!子どもにとっては、まるで実験です。

私にも幼いころ、ゼリー液を注いだアルミカップを雪にうずめ、固まるまでワクワクしながら待った冬の思い出があります。

 

なにがそんなに可笑しいのか、くすくす笑いながらおやつを口に運ぶ少女たちは、まるで小粒の苺のようなあどけなさ。

 

友だちのひとりが、パンナコッタを

「お店のやつみたい!」

と誉めてくれました。

その言葉から、娘は「誰かのためにお菓子を作る」という新たな喜びを、きっと感じられたのだろうと思います。